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多分多くのインターネット利用者(はてな市民除く)が鬱陶しいと思っていること。 それはGoogleで「〜とは」で検索した時に必ずと言っていい程引っかかるはてなのキーワードだろう。 今日はお恥ずかしい話ですが「via」が分からなくてね、略語だろうと思って検索してみたんですよ。 こんなの、文脈で分かる。語源は何なんだよ。(※その後、anotherさんによって補足されました。anotherさん、ありがとう!) 「調べてから書け」という言葉は好きではないけど「もう少しは調べてから書けよ」と思った。 正直、こんな貧相なキーワード解説は公開するべきではない。 こういうのが多すぎるから「何でもかんでも『〜とは』って頭につけるのは、結局はてなの悪質なアクセス稼ぎだ」と僕は思うのだ。 と、言うわけで補足して書く。 viaとは「〜経由で」という意味の英語。 自分のサイトで紹介した情報を提供してくれたサイトに敬意を表すために用いられる。 英語の発音に近い読み方は「ヴァイア」又は「ヴィーア」。 元々はラテン語で「道」を意味する。ラテン語での読み方は「ウィア」。 ・参考:旅は骨折り?
コメント欄
はてなキーワードは2つの存在意義があり、ひとつはおっしゃるとおり「辞書的役割」、もうひとつは同じキーワードを使ったはてな内の日記のつながり(コミュニティの点と言及している人から情報を調べる点で同じ話題をしている人探し、言及数によってどれだけ人気があるか、また突然増えたときはなにか事件やニュースが起こったかの目安)という「横のつながり的役割」です。
なので、辞書を主の目的としないキーワードの場合は、説明はそこそこでとりあえずキーワードを作っておくということは良くあることです。
キーワード作成以前にそのキーワードに言及があったとしても、一覧に出てきませんからね。
このような使い方の場合は、とりあえず作っておいて、あとで有識者が補足するといった流れになるかと思います。Posted by kenji at 2006年01月12日 05:33
■kenjiさま
コメントありがとうございます。
はてなのキーワードに意味があることはよく分かります。ただ、その説明にあまりに貧相な物が多いのと、語句に「〜とは」を自動的に付けてSEO対策をしている所が気に入らない。とりあえず作っておいて、あとで有識者が補足する
補足可能なのは「はてなダイアリー市民」というのも好かんです。理由は分かりますが。wikipediaのように「登録すれば編集可」ではなく「日記を付け続けている人のみ可」というのが気に入らない。
今回のviaの場合は、僕がかってに「略語」だと勘違いしたのが悪いような気もするんですが。
Posted by LSTY at 2006年01月12日 10:00
以前、オレも「via」が分らず、調べた口です。その時参考にしたのが、はてなキーワードでしたね。「〜経由で」ってので理解した。でも、これは最近知ったのだけれど、はてなキーワードってはてなユーザーが編集してんだよね?以前は、はてなスタッフが作ってるんだと思ってました。
検索からキーワードだけ観た人の中には、はてなのことを知らないではてなユーザーの間違った編集内容によって誤った知識を持ってしまった人もいるんじゃないか?とちと疑問を感じた。辞書としてどれくらいの信憑性があるのかな?参考としてはいいんだけどね。鵜呑みしてしまう危険性があるような。
だから、分らない言葉などがあると、googleで調べて、そこから検索上位に載りやすいはてなキーワードに行って、さらにgoo辞書(goo辞書は、調べるものによって、結構探す手間がかかる時がある)とかで調べると言う段階を取ってますね。
ちなみに、「via」のキーワードでこの記事のURLがリンクされてますね。
な人がいそうです。ややこしいなぁ〜 分るかな?
via google “via” via はてなキーワード「via」の記事「viaとは」Posted by souryuusei at 2006年01月12日 21:25
■souryuuseiさまちなみに、「via」のキーワードでこの記事のURLがリンクされてますね。
ほんとだ、気が付かなかった。
ホットなキーワードになってるなあ、via。(笑)僕はこうすればいいと思うんですよ。
そうすればノイズとしての認知は減るはず。
Posted by LSTY at 2006年01月13日 08:53
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http://b.hatena.ne.jp/entry/http://lsty.seesaa.net/article/11577377.html
正確には「貧相なキーワードは解説をもっと充実させるべきである」じゃないのかな。 俺が分からない単語を調べる時(漫画家の名前、特に読み方についてググる事が多い)にはてなキーワードに何度も助けられてるからかもしれないけど、「wikipedia」と「はてなキーワード」は相互補完しているような部分もあってなかなか面白いと思うよ。 まぁ「もうちょっと調べて書け」的なキーワードが散見される事には同意するけど、それもキーワードを作成するユーザー層が多岐に渡る事を考えれば有意義な部分もあるわけだしね。
「viaとは」でググるとトップに来る「via」のはてなキーワードの説明文が適当だったので「もっと詳しく書けよ」っていうツッコミ記事。 「辞書を引けば分かるようなことをいちいちキーワードの説明文に書かなくていい」という考え方を持つ人がいて、正直なところオレも「まぁぶっちゃけそのとおりだよね」と思っていたのだが、はてなキーワードがGoogleでかなり上位にヒットしてしまうようになった昨今ではそうともいえなくなってるのかな。 でもどうなんですかね。正直「『via』の語源なんか辞書引けばいいのに」とも思えるけど。 といいつつもオレは「青二才」っていうキーワードつくる時にどうせ役にも立たないのに語源をわざわざ調べて「由来がはっきりしない言葉だ」とかなんとか説明文書いてたというムダな(?)作業をした経験があるけど。いや「青二才」の説明文を見てもらったら分かるけどYahoo!辞書の「大辞泉」「大辞林」がそれぞれ違う由来を掲げてるんですよ。で、なんだこれと思って。 まぁ「青二才」の語の意味なんかたいてい誰でも知ってるのだから、説明文に語源を書いておくのはアリだろうとは思うものの、「はてなキーワードに青二才の語源の情報なんかいるのかな?」と内心思ってたのは本当だ。 ところで今気づいたけど「google:青二才とは」で現在トップに来るサイト、「青二才(あおにさい) - 語源由来辞典」では「ボラの稚魚説」を有力と書いてますね。キーワードの説明文でも引用させてもらった「新背説がほぼ定説」という日国.NETの見解と違うじゃないか。本当にどっちなんだろう。 語源まで調べた「青二才」とは逆に、「大喜利」というキーワードを立てるときには、「大喜利とは」でいちおう検索したものの、ろくな文章がなかったのでやむなく「お題に応じた面白い回答を披露する演芸。」というテキトーな説明文を書いておいたことがあった。これだと説明が簡潔すぎてあまりよろしくない感じですな。でもいつのまにか「本来は寄席の最後に、出演者が勢ぞろいし、観客へのサービスとして謎掛け等を披露したのが始まり。」という文章を誰かが付け足してくれていたので、一応「寄席」が由来なんだってことが分かってよかったよかった、と勝手に満足してました。ま、語源はいまだ分からないままだけど。誰かご存知のかたはいますかね? そういうわけで貧相なキーワードでもだんだん説明文が充実してくる、ということも時たまあるので(充実しないままのキーワードもたくさんあるけど)長い目で見ようや、とオレは思ってる。のだけれど、やっぱりGoogleでかなり上位にヒットするようになった昨今ではそういうのん気な考え方では問題があるのかなぁ、とまた堂々巡りの思考に。むむむ。
# yocc 『言いだしっぺが責任を取る、ってのは日本的文化でしたっけか。 これは提案・運用に対するコストを引き上げてしまうんですよねえ…結果として変化を抑制するほうに作用する。』
# Tskk 『言い出しっぺの法則はunixやオンラインソフトなどのハッカー文化でよく言われていたと思います。言い出しっぺが一番問題を理解しているということで、要求仕様の抽出やバランス取りのコミュニケーションコストを下げる意味があります。確かに自力救済できない弱者を切り捨てる面もありますが、十分に整備されていない無い無い尽くしの時代には、新人を自力救済できるまで鍛える意味もあったのではないでしょうか。◆と言うことで、これもモヒカン族vsムラビトの対立?』
# santaro_y 『yoccさんどもです。 あ〜日本的っていうのは2ちゃんの方でオマエガナーは全然違う気がします。 でオレが悩んでるのはそこでダメって言い切れればすっきりするんですけど、でもどうもちょっと引っ掛かるというか。かといってオールOK、とするとそれは倫理的にどうかなと。何かアリとキリギリスみたいな構図が浮かんでしまうんですよね。その辺肯定する話があったらぜひ聞きたいな〜と。』
# santaro_y 『Tskkさんどもです。 一応この辺議論されてはいるんですね。
確かに自力救済できない弱者を切り捨てる面もありますがやっぱりありますか。特にそういうイメージなかったんですが意外に厳しめな発想が根本のとこにあるんだなと。 モヒカン族がやるならこの辺とっくにクリアしてそうであんまり問題を感じない気はします。ムラビト的な人がやったときに何かすごいまずいものがありそうな。ってことでとりあえずオレはまだクリアできてないです。』# tomozo3 『Web2.0の方から来ました。 他人を変えるのは難しいし、システムも変わりそうにないので自分で何とかしちゃおうよ というのはそもそものインターネットの精神だったと思うのです』